海外渡航経験は僅かだが、30代前半に1週間ほどフランクフルトへ行った。当時の職場は労働組合で上部団体主催の海外交流研修だった。相手の労組に※人生で100回目のストライキの指揮を控えている男性がおり、我々日本人の間では、真面目な頑固おやじ風の彼を「ストおじさん」と呼んでいた。確か観光タイムのランチ時、私の隣りが通訳だったからか、日本や欧州の政治の意見を訊いてきた。日本の状況も調べていて、私がなけなしの知識で答えても呆れた表情も見せず、自分の考えも交えながら質問してくる。ドイツ人の議論好きを実感したが、実に発言し易い環境に思えた。東洋人の若造の未完成な意見も、馬鹿にせず、質問を重ねる姿勢にとても誠意を感じた。
『私はダニエル・ブレイク』(2016)は一旦は引退表明をしたケン・ローチ監督の渾身の一作である。舞台は英国北東部のニューカッスル。看病していた認知症の妻と死別した独り暮らしの老人が、病気のため大工を辞めざる得なくなる。公的な援助を求めるが、そこにはあまりに冷たいシステムが待ち受けていた。
だからといって不幸なだけの話ではない。彼は他人の身を案じている場合ではないのに、周囲の困っている人を放っておけない。ロンドンから来た極貧のシングルマザーを気にかけ支える。隣室の若者にはゴミの出し方などルールを説くが、疎ましがられている訳ではない。むしろ肌の色、年齢など関係はなく交流する。彼自身も隣人を気に掛けることが、張り合いになっているようだ。融通の利かない上から目線の行政にけんか腰なのは、たかりや甘えからではなく、自分の生き方に誇りを持っているからだ。彼は真面目で頑固なだけでなく、顔を覗かせる反骨精神が、いっそう共感を呼ぶ。役人達も様々で、機械的に対応する者、人間味を感じる者もいるが、彼の希望は叶えられない。ただ、恨みを買う窓口の役人たちもある意味被害者なのだ。
この物語は名ゼリフのオンパレードだが、一番は「頼ってもらって嬉しい」というものだ。なんて素敵な言葉なのか。頼られようが頼ろうが、こんな人間関係は理想ではないか。彼には子供はいないが、関わった人々にはその意思や思考を心に刻み込んだ。あたかも実在の人物のような生き様を含めて観客の心にも届いたことだろう。後世に伝えるべき意思、これぞ保護すべき世界遺産だ。そして鑑賞後、「ストおじさん」の記憶が私の頭を過ぎった。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』
監督:ケン・ローチ
出演:デイヴ・ジョーンズ、ヘイリー・スクワイアーズ
製作年:2016年
製作国:イギリス
上映時間:100分
※ドイツには日本のような企業単位の労働組合の風土はない。
(C)Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Les Films du Fleuve,British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2016
最新記事 by poco (全て見る)
- The whole world” has been” watching!世界は見続けている!『シカゴ7裁判』 - 2021年3月11日
- フィクションとノンフィクションの狭間『37セカンズ』 - 2020年4月12日
- 腑に落ちる『さよならくちびる』 - 2019年6月26日