鑑賞後にまず思い浮かんだのは、これは戦争映画を限りなく娯楽的に描こうという、ノーラン流の実験なのかなということ。
それが証拠に血が出ない。不自然なくらいに。これは凄惨な流血・人体欠損表現によって戦争の残虐性を強調した『プライベート・ライアン』や『野火』(まあ、後者はゾンビ映画に近いが)とは対極のアプローチである。すなわち、ノーランが本作で第一に描きたかったのは戦争の悲惨さではない。
では何を描きたかったのか。それは戦争という特殊な状況下で生まれる「緊迫感」ではないか。そのため、そうした「緊迫感」を楽しむ上で障害となる要素は、戦争映画でありながら、前述の血を含めて極限まで排除した。血みどろの死体や、内臓が散乱する浜辺の映像は恐怖心をいや煽るだけで、緊迫感の純粋な体験を妨げると踏んだのだろう。
そう考えると、ダンケルクの浜辺に群がる兵士たちの数が、数十万が脱出に成功したという史実に比して、妙に少なく感じることも合点がいく。人間がひしめき合う画面は息苦しく、視点が散る。ゆえに過剰な群衆描写は焦点を散漫にさせるし、かと言って物語のリアリティも損なわれないギリギリのバランスが、この人数だったのではないか。
それに弾丸も飛び交わない。だからこそ、密室的な船内での狙撃シーンにおける数発の弾丸が際立つ。それまでに銃撃戦への免疫ができていない観客は、このシーンで「撃たれる」という緊張感を嫌というほど体験させられる。
比較的無名の役者を起用し、主人公らしき存在がいないのも、余計な先入観を入り込ませないための措置だろう。キャストの中では大物のトム・ハーディも基本的にはマスクに覆われていて顔が見えず、ケネス・ブラナーも帽子を目深にかぶって桟橋から動かない。あくまでもカメオ的な立ち位置である。
とある職人気質のラーメン屋では、至高の味を追求した結果、チャーシューやネギなどが一切入らない、純粋に麺とスープだけの一杯が出てくる。『ダンケルク』にもそれに似たような理念を感じる。
ノーランはこう言っているのだ。
余計な具に邪魔されることなく、俺が最高の音と映像で演出するこの緊張感だけを楽しめと。
とか愚考してみた。
『ダンケルク』
監督:クリストファー・ノーラン
出演:フィン・ホワイトヘッド、トム・ハーディ、ケネス・ブラナー
製作年:2017年
製作国:米国
上映時間:106分
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