Toggle

ヒューマン

普通の自由を求めることは限りなく狂気に近い『歓びのトスカーナ』

普通の自由を求めることは限りなく狂気に近い『歓びのトスカーナ』

(C) 2016 Lotus Productions, Manny Films, Rai Cinema

『テルマ&ルイーズ』への影響が強いイタリアのロードムービー。もし『テルマ&ルイーズ』のふたりが「男性からの自由」を求めているのであれば、この『歓びのトスカーナ』での主人公ふたりは「人としての自由」を求めている。ほとんど女性しか出て来ないこの作品でジェンダーの枠を越えものを感じたのは、面白いと思った。おそらくそれは階級も、境遇も、育ちも、そして性格もまったく違う主人公ふたりが抱えているものが「生きづらさ」だったからだ。そういった「生きづらさ」は誰もが持つものなのにも関わらず、それがこころの病として診断された瞬間から、彼らは患者として認定され社会的に隔離される。そんな隔離された存在であるふたりが歩み寄りながら「ほんの少しのしあわせ」を求めるロードムービーである。
過去に引っ張られ、今をうまく生きられない人たちに-勿論、性別は関係なく-見てほしいと思う。そしてあのオープンカーで走り去るシーンを見て、みんなで解放感を分かち合いたい。

虚言癖のあるベアトリーチェと鬱病を患うドナテッラが友情を築く物語のほかに、イタリアの精神病に対するケアの描写もこの映画には多くあった。彼らが住まう診療所は、「治療」よりも「暮らし」に重きを置いている場所だ。患者たちは共同体の中で食事を共にし、ガーデニングを行い、症状が安定している者は診療所の外へ出てアルバイトをする。いつでも社会復帰できるような暮らしを維持しながら治療を行う。患者たちを弱者として扱わず、彼らそれぞれの生きづらさを尊重し、寄り添うようなケアを行う描写が印象的だった。
ドナテッラが救急車で運ばれた先の精神病棟と診療所を比べると非常に顕著だ。青白く暗い精神病棟と、柔らかい暖色に包まれたトスカーナの太陽が降り注ぐ診療所。トスカーナの診療所は、開かれた空間として存在していた。

映画自体、ベアトリーチェとドナテッラのどちらもを世間的弱者としては扱わない。そもそもひとりひとりの生き方が違う中で、どうやって彼らを狂人とみなすんだろうか?
道ゆくカップルがベアトリーチェとドナテッラの行動を見て「狂ってる」と言い放つシーンがある。「診断上ではそうよ」とベアトリーチェはぼそりと冷静さを持って返答する。世間は彼らの生きづらさを一方的に病と認定する中で、映画は普通であることとと狂人であることの境目は作らない。フェリーニの映画に出てくるような狂気に近い自由への歓びがそこにはあり、生きづらさを否定しない心強いイタリアのメンタルケアの基盤も垣間みる事ができた。

『歓びのトスカーナ』
監督:パオロ・ヴィルズィ
出演:バレリア・ブルーニ・テデスキ、ミカエラ・ラマツォッティ
製作年:2016年
製作国:イタリア/フランス
上映時間:116分

The following two tabs change content below.
kiki aoki
本当は息を吸うように映画を見たいのだけれど、と思いながら毎晩眠りにつく。
Return Top