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題名である『モーツァルトとクジラ』とは、ハロウィンで仮装をした主人公ドナルド(ジョシュ・ハートネット)とイザベル(ラダ・ミッチェル)のことを表す。
「いつだって僕はパレードの傍観者なんだよ」
ハロウィンの夜。煌びやかに打ちあがる花火や、手をつなぐ恋人たち。そのような風景を背に、俯きながら主人公のドナルドはこうつぶやく。いつもパレードを傍で見上げる、けっして主役になることのできない人生。【アスペルガー症候群】という病はいつもドナルドの人生に陰を落とし、足を止めていた。
「普通でありたい」。そう願うドナルドの前に現れたのが、同じ病を持つイザベルという女性だった。そして、ドナルドとイザベルは恋に落ちる。恋とはなんてすてきなのだろう。彼女の屈託のないまばゆい笑顔が、たちまちドナルドの人生を、映画を、輝かせてゆく。彼女は自分が普通とはどこか「変わっている」ということを知っている。世間にうまく馴染めないことも、ときおり奇声をあげてしまうことも。でも彼女はそんな自分を愛して肯定する。「普通でありたい」なんて、イザベルは微塵も思っていない。ありのままの自分でいることを何よりも大切にしているのだから。
「恋をするとき、ひとは臆病になるものよ」。と、私の大好きな映画である『上海から来た女』の劇中でリタ・ヘイワースは言っていた。恋をすることはとてもこわい。でもそれ以上に恋をして自分が傷つくことは、きっと、もっとこわい。自己否定をしているドナルドにとって、恋をして、誰かを愛することは、大きな冒険なのである。愛することは、うまくいくことばかりではなく、寧ろ相手と衝突し傷つけ合いながらお互いを受け入れてゆくもの。ドナルドとイザベルも順風満帆ではない。それでも、ベッドの横でイザベルは言うのである。
「『普通』になんてならなくていいの。私が求めているのは、ありのままのあなたなのよ」。
「普通」の定義はとても難しい。しかし、生きる上で「こうでなければならない」と自分を縛り苦しめる必要はどこにもない。社会のレールに乗ることだけが、すべてではないのだから。いいところも、悪いところも、すべてを受けいれて、傍にいてくれるひとがいる。願えば誰しもが、モーツァルトとクジラになることができる。あの日の夜のふたりのような、人生のパレードの主役に。これは、とっても愛おしい、あるふたりの物語。観終わったあとには、きっととびきりの笑顔で、大切なひとに「愛してる!」と、そう伝えたくなるはずである。
『モーツァルトとクジラ』
監督:ペッター・ネス
出演:ジョシュ・ハートネット、ラダ・ミッチェル
製作年:2005年
製作国:アメリカ
上映時間:92分
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