自分は人間ではないのではないか、と思ったことが少なからずある。
なんでかというと自分結構感情を制御できるところがあって、「悲しい」と感じている自分を客観的に、例えばスクリーンの中に映っているように捉えて、外側から制御盤のつまみを操作し「悲しみ」の量を減らしたり、増やしたりできる。もっとも、こうした能力は常時発揮されるわけではなく、どちらかというと葬式などの「悲しい」場面で呼び覚まされることが多い。そういうときは、実際に頭の中でねじがジコジコ回っているような感覚をおぼえる。
そういったことを『エクスマキナ』を観て思い出した。
結局のところ、私には真の「悲しい」なんていう感情は存在せず、あくまでも今まで自分が他者との交流の中で視聴覚的に認識・蓄積してきた「悲しみ」の表現データを基に、一般的に「悲しんでいる」と受け止められるような表情を、顔というモニター上でシミュレートしているだけなのかもしれない。
そのせいか私はよく「冷たいやつ」と言われるが、それでも人間だ。たぶん。いちおう血も流れるし、走っている車の後部座席で本を読んでいればしっかり酔う。
ただ、自分は上述のような「悲しみ」表現を意識的にコントロールしている節があり、ひょっとするとチューリングテストに合格した、どこかのマッドサイエンティストが開発したコンピューターなのかもしれない。本人がそれに気づいていないだけで。
人工知能の究極のゴールは人間との区別を取り払うことにあるが、区別がつかないならそれはもう人間と同義であり、逆説的に、人間とマシンの差異について考えても無意味ということになる。そもそも「区別がつかない」ものに関し、それらを「区別するもの」について議論することなどできやしない。
完璧な“模倣”が存在するとすれば、だ。
実際には写真をコピーしても“傍目には”同じに映るというだけであって、コピーした記録はデータとして残るし、分子レベルでの微細な違いは存在するはずである。
それでもだ。人はそこまで細かく何かを区別することはないし、周囲の大多数が「同じ」と判断するなら、実際にはどんな差異があろうとそれは「同じ」なのである。
だからこそ人工知能は人間世界に溶け込める。いともたやすく。
『エクス・マキナ』
監督:アレックス・ガーランド
出演:オスカー・アイザック、アリシア・ビガンダー、ドーナル・グリーソン
製作年:2015年
製作国:イギリス
上映時間:108分
画像権利元:(c) Universal Pictures International (UPI), Film4, DNA Films
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